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02健康と長寿
近代生活即アパート生活
近代生活の必然の形は、狭い地区に多くの人が住むいわゆるアパートという形である。日本へ帰って来て、欧米のアパートのことを書いてくれ、といって新聞や雑誌から原稿をたのまれた。何か特別の生活様式のように思っているらしいが、外国の都会生活は、いわば全部アパート生活といっていいほど一般的なものである。
日本みたいな独立家屋で、一軒の家で庭もあり、なにもあるという家は、よほど贅沢な高級住宅で、推理小説などにも出てくるような所である。街といっても、一階から二階くらいまでが、店や事務所になっていて、その上の方にはたくさんの人が住んでいるアパートになっている。欧米でアパートというのは、一つのピルで上から下まで全部住いであるというもので、はじめから住宅として計画されて、一定の地域に建てられている。
それをアパート地域というのだが、つまりは住宅地域ということである。日本では、東京なんかを考えてみても低い小さな家が庭を囲っていて、ぽつりぽつりと建っている。したがって道をつけても、交通の利用率が少くて、非常に不経済なわけだ。この点都会というものが、近代産業機構の中心であるからには、もっと緊密に、狭い地域に高層のアパート的な家を持つべきであろう。
ところで、このアパート的な生活では、皆が健康であるために、公衆衛生が発達している。これは百五十年も二百年も前からあるのだが、他人の迷惑になることは、つまりは自分の損であるという考えが、はっきりしていて、公衆の為ということをいつも考えている。また公衆道徳もよく行きわたっていて、住む人たちは、他人のことについて、いらぬおせりかいなどしない。日本ではすぐ、あそこの家はどうだとか、ここの家はこうしたとか、隣近所はうるさい。また電気冷蔵庫を買った、テレビがあるとかいって、羨しがったり、けなしたりする傾向がある。こんなことは公衆衛生以前の問題で、つまり公衆道徳の問題に属する。この公衆道徳というものも、公衆衛生というものも狭いところに多くの人がみな仲良くして健康な生活をするためのきまりなのである。公衆道徳をもっとも身近かなものとして、自分に感じていかなければ近代生活をする資格かないのではなかろうか。
ニューヨークやパリ、ロンドンの地下鉄などに、″タンツバをはくな″″煙草の吸いがらを捨てるな″とあり″犯すものは厳罰に処す″とあるのはもっともなことである。とにかく公衆衛生ということも、学問上だけの問題ではなく、もともと、健康な生活の為の″きまり″であったはずである。
ところが日本ではともすれば、新聞や放送などでは、聴く人におもねていて、ちょっとでも学問的なことは、敬遠されるようであるか、学問とは、元来良き生活のためのやり方を示すものであるのだから、生活に学問はいらぬとか、学問は生活などに関りないというのであれば、どちらも間ちがいであるはずだ。それは生活それ自体が学問の力によって、北欧の国々のように伸びているところのあることを見てもわかるであろう。
私どもは健康で長生きして行く方法を、学問から導いて来なければならない。それが、学問は生活とは別なものとして、学校で習って、資格を得ればよいものだなどと考えるならば、生活も文化もなくなっでしまう。
その意味で、わが国は、自然の環境に恵まれ、先祖からのよい資質や体格をうけついではいるが、それに学問的な知を幼かしてゆかなければ、近代的な生活における幸福はのぞまれないのである。こう考えてみると、私たちみんなのための健康な生活のあり方について、いろいろ考え直さなければならないことか多いと思う。